当時、本州岡山と四国香川を結ぶ海の足として
宇野港のフェリー乗場には多くの人が集まり賑わっていた
もちろん鉄道もつながってなく
瀬戸大橋も無い時代の事である
周辺には戦争中アメリカの飛行機から爆撃を受け
痛めつけられた町がたくさんあった
その復興を助ける手段の一つとして競輪の開催を決めた
玉野は戦災を直接受けてないので、開催地の候補地にはあがってなかった
しかし
官民一体となつて熱心に運動した結果、玉野市築港に競輪場が建設され
1950(昭25)年:玉野競輪が開催される
宇野港が国の重要港湾に指定された年でもある
1962(昭37)年:玉野競輪場が国体秋季大会の自転車競技会場に利用される
それまで競輪場の玄関口の公園は
雑草が生い茂っていたが
岡山国体の会場になったときから雑草は刈られ
花を植えたりするなどの緑化事業が現在でも続いている
<昭和56年度・玉野市主催・連勝式車券>
JR宇野駅近くに位置し
瀬戸内海に面した風光明媚な競輪場として多くのファンに親しまれている
玉野市築港
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